フィルムカメラLife「フィルムで撮ろう!」(富士フイルム) ― 2009年10月09日 00時00分00秒
今日は更新が遅れてしまった。すまん。
富士フイルムが、 フィルムカメラLife「フィルムで撮ろう!」というサイトを昨日から公開しているようだ。
内容は、35mmコンパクトカメラのKLASSEと中判フォールディングカメラGF670 Professionalとフィルムについての3部構成だ。
ただ、失礼ながらどのページも底が浅い。誰に向けて書いているのかというのもあるが、たとえばフィルムのところではこんな風に書いてある。
写真を撮るってこういうコト。
フィルム写真は、デジタルに比べれば便利なものではありません。 撮影前にはフィルムをカメラに入れ、撮影が終われば取り出し、そのフィルムを現像やプリントに出さなくてはいけません。でも、そのぶん写真を撮影したという充実感や達成感はしっかり味わえます。そしてフィルム写真は、データではなく、必ずカタチとして残ります。簡単に撮れないからこそ、簡単に消去できない、そんな写真もいいと思いませんか?
便利さもいいけど、感動もいい。
現像できるまで、どんな写真が撮れたのかわからない。それはデメリットでしょうか?それとも楽しみのひとつでしょうか?撮影したらスグに見たい、というときにはデジタルカメラを使えば大丈夫です。 でも、ワクワクドキドキしながら現像を待って、出来上がったときに想像以上の写真が撮れていた!なんていう感動は、フィルム写真でなければ味わえません。
修正できないからおもしろい。
「フィルムは人生と同じ。後から修正がきかないからおもしろい」ある写真家は、フィルム写真をそう表現したことがあります。確かに、人はときどき失敗をしながら、その修正できない失敗をかみ締めながら、成長するものかも知れません。シャッターチャンスはまさに一期一会。心地よい緊張感とともに人間を成長させてくれるのも、きっとフィルムならではの良さかもしれませんね。
形に残るというのは大事だ。前にも書いたが、デジタルカメラで撮った写真はどうやって後世に伝えていくのか。CD-Rなんか非常に危ういし、HDDに保存したものを誰がその時代の記録メディアにコピーして伝えていくのか。そのままの形で保存しておけばなんとかなるという決まった形がないデジタル写真は散逸しやすい。
しかし、そういう屁理屈こねてフィルムそのものを持ち上げるよりは、ファインダーのいいカメラを長く愛用して写真を撮るにはフィルムカメラを選択するしかない、みたいな説明もあると思う。富士フイルムのサイトだからフィルムが主体の説明になるんだろうけど、カメラやレンズ主体の説明であってもいいと思う。
デジタルカメラは広角単焦点レンズの選択肢が少ないし、そのデジタルフォーマット用に設計されたレンズ以外のレンズではきれいに写らないことがある。フィルムだと問題なく写っていたレンズなのに、デジタルで使うとなんか色がずれたりすることがある。そしてそれがボディが違えばその出方も違う。そのボディの実用的な寿命も短いから、今の時点でデジタルでダメダメな古いレンズがあとで使えるレンズになったりその逆もあり得る。こういう不安定な要素があるのはどうも好きになれない。まあ段々とカメラの中で補正が効いてくるようになるんだろうけど。
古いカメラでも新しいフィルムを入れたら使える。フィルムカメラは長く使えるのだ。これが重要なんじゃないのかなぁ。まあ、デジカメも出してる富士フイルムがデジタルカメラの根本的な問題を示してはいけないんだろうけど(笑)。気に入ったカメラやレンズを長く使いたい。そういうスタイルにデジタルカメラは応えているのだろうか。気に入って使っていたGR DIGITALが購入後たった3年半で片ボケ気味になってきたのでどうもデジタルカメラに厳しくなってしまう。
フィルムの種類・使い分けガイドのところも、基本的な用語の解説も必要だけど、それ以上に「あう~、そ、そんなフィルムだったのかぁ。使ってみたい~。\(^o^)/」と思える蘊蓄を語って欲しい。私はベルビア系は食わず嫌いなのである。使ったことがないのにああいうフィルムは好きじゃないのだ。その私に、ベルビアもこういうときはいいよねと言わせるような記述が欲しい。こじつけでも何でもいいのだ。ここは赤城耕一氏の登板が必要だろう(笑)。
写真は記事とは関係ない。
無題:Nikon F100、ニコンおもしろレンズ工房「どどっと400」400mm F8、F8AE、中央重点測光、Kodak EKTAR 100、「エクター現像」、Nikon SUPER COOLSCAN 5000 ED
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