信州発地域ドラマ「ピンぼけの家族」3月4日放送2020年02月29日 12時47分44秒

ヤシカ・エレクトロ35 + Hama角型フード

新型コロナウィルス流行のため家にいるのだが、なんかつまらないので、おにぎりでも持ってバイクで走りに行こうかと思った。道路交通情報をみたら、週末なのに高速道路が全く渋滞していない。逆にいつも週末は空いている首都高速道路が渋滞している。何が起こっているんだろう。ということでやっぱり出かけないでブログを更新している(笑)。4年に1回しかない2月29日だし。

2020年2月29日(土)12:10現在のYahoo!道路交通情報

さて、NHKのPRによれば、2020年3月4日(水)22時00分~22時59分にNHK BSプレミアムで信州発地域ドラマ「ピンぼけの家族」が放送されるらしい。なぜこれに興味を持ったかというと、舞台が諏訪で予告編にヤシカエレクトロ35が映っていたからだ。
信州発地域ドラマ「ピンぼけの家族」|NHK長野放送局

物語の舞台は、かつて「東洋のスイス」と呼ばれ、世界に誇るフィルムカメラの生産地として一時代を築いた長野県・諏訪地域。東京で働く斉藤裕介(28)は、祖母の介護を口実に仕事をやめ帰郷したが、早々に祖母は亡くなってしまう。遺品から見つけたフィルムカメラを手に、裕介は祖母の面影を求め、写真探しに出かける…
デジタルカメラやスマホが台頭する現代。今なお、フィルムカメラで築いた誇りと文化が残るこの諏訪地域を舞台に、一人の青年が亡き祖母の写真を探す過程で人々とふれあい、忘れていた大切な“家族の記憶”を取り戻す、オリジナルストーリー

主演の泉澤祐希の役柄は「周囲に流され、なんとなく東京の大学に進学しそのまま東京で就職した平凡な青年。祖母の晴代の介護を口実に仕事を辞めて諏訪に帰ってくるも、早々に祖母がなくなり、今は諏訪湖の貸しボート屋でアルバイトをしている。遺品整理で祖母が愛用していたカメラを見つけ、祖母に対するある想いを胸に、祖母の写真探しに奔走する。」というものだ。

注目すべきは、柄本明が「下諏訪町のフィルムカメラの修理工房、タムラリペアリングの技術者兼経営者。元々はカメラメーカーの修理部門で働いていたが、カメラ事業の撤退とともに退職し独立。自身は写真を撮ることを好まず修理一筋。裕介から、フィルムカメラの修理を依頼される。」というヤシカ・コンタックスユーザーならなんか聞いたことのある役柄なのだ。

これは楽しみだ。諏訪ってあんまりじっくり滞在したことがない場所なんだよね。諏訪って諏訪市があって下諏訪町があって上諏訪駅がある上に茅野市とか岡谷市とかカメラで有名な場所があってなんだかよくわからないのだ(勉強不足)。

ちなみに柄本明氏は20世紀の終わりごろに世田谷区と渋谷区と目黒区の境目付近(ってピンポイントやん)でお子さん(たぶん今俳優をされているどちらか)と歩いているところを見かけたことがある。なんか惹かれる俳優の一人だ。

コメント

_ ノーネームしたん ― 2020年02月29日 15時29分39秒

>ヤシカエレクトロ35

フードと共にええ面構えですな、

>おにぎりでも持ってバイクで走りに行こうかと思った。

山下先生は家で子供の相手をしないのですかね?、
あっ!…失礼、Haniwa家の家族の事情は………、
「ピンボケの家族」と言うよりも「ボカシを入れないと直視できない家族」でしょうかね…。

>ヤシカ・コンタックスユーザーならなんか聞いたことのある役柄なのだ。

特定のモデルの人なんでしょうかねぇ。

_ みっち ― 2020年02月29日 16時31分34秒

ほほぉ、エレクトロ35ですか。懐かしいですねぇ。このカメラ(初代)が出たのは、みっちが中学生か高校生のころですな。当時、ヤシカとかペトリとかのメーカーは、「二流」というイメージがあり、苦戦していたと思います。
では「一流」のメーカーは何だったかというと、キヤノン、コニカ、ミノルタあたりですかね。キヤノンはもちろんキャノネットを出していてベストセラーだったし、小西六もコニカS(これはみっちが小学生の時の愛機でした−笑)とか、レンズシャッター機をだしていました。ミノルタは何だっけか、ハイマチックだったかな。ニコンには普及機はないし、アサヒも一眼レフのみだったから、市場にあるのはこれ位だったのでは。あとオリンパスがあったか、でもまだこの頃はハーフサイズのイメージが強かったし、そうだ富士フイルムもありました。でも入門機のフジペットのイメージが強くて、一段低く見ていたような気がします。
軽く半世紀以上前ですなぁ、デジタルのデの字もない、古き良き時代でありました。(笑)

_ Haniwa ― 2020年03月02日 10時27分51秒

■ ノーネームしたん様
>>ヤシカエレクトロ35

>フードと共にええ面構えですな、

シャッター羽根の粘りが発覚しました(泣)。
まあ使ってなかったですからね。
写りは悪くないレンズなので惜しいです。
時間があったら何とかするかもしれません。

>>おにぎりでも持ってバイクで走りに行こうかと思った。

>山下先生は家で子供の相手をしないのですかね?、
>あっ!…失礼、Haniwa家の家族の事情は………、
>「ピンボケの家族」と言うよりも「ボカシを入れないと直視できない家族」でしょうかね…。

ノラ猫がゴリラ女房から守りつつ相手してくれてますんで(違)。

>>ヤシカ・コンタックスユーザーならなんか聞いたことのある役柄なのだ。

>特定のモデルの人なんでしょうかねぇ。

利用したことがないのでどこまで実在のものと似ているのかはわかりませんが、N社系でもC社系でも退職者による修理会社ってありますね。

_ Haniwa ― 2020年03月02日 10時47分16秒

■ みっち様
>ほほぉ、エレクトロ35ですか。懐かしいですねぇ。このカメラ(初代)が出たのは、みっちが中学生か高校生のころですな。当時、ヤシカとかペトリとかのメーカーは、「二流」というイメージがあり、苦戦していたと思います。

このカメラは中古で90年代に手に入れたものです。
ヤシカが現役の頃はそういうイメージだったと思います(うちの親はそういう扱いをしていて購入対象にしていませんでした)。
ペトリは昔深夜ラジオでコマーシャルを流していた記憶があります。

>では「一流」のメーカーは何だったかというと、キヤノン、コニカ、ミノルタあたりですかね。キヤノンはもちろんキャノネットを出していてベストセラーだったし、小西六もコニカS(これはみっちが小学生の時の愛機でした?笑)とか、レンズシャッター機をだしていました。ミノルタは何だっけか、ハイマチックだったかな。ニコンには普及機はないし、アサヒも一眼レフのみだったから、市場にあるのはこれ位だったのでは。
>あとオリンパスがあったか、でもまだこの頃はハーフサイズのイメージが強かったし、そうだ富士フイルムもありました。でも入門機のフジペットのイメージが強くて、一段低く見ていたような気がします。

ニコンは明らかに高級機で、よほどカメラに入れ込んでいる人以外は気軽に買えるカメラではなかったと思います。うちは一眼レフはアサヒ、コンパクトカメラは富士とミノルタでした。父親は関西人なのになぜか関西系の企業はあまり信用していませんでした(笑)。ミノルタの110買った時も渋々買ってましたね。関西企業は身近に知っているアレなことがあるのかもしれません(笑)。知らぬが仏で東京系企業の製品を買うポリシーだったのかなぁと今にして思います(笑)。富士はフィルムメーカーとして安価でよく写るカメラを供給する役割があったのだと思います(コニカも同様)。

うちにあった富士のコンパクトカメラは、検索した感じでは"FUJICA COMPACT D"ではないかと思います。ただ、焦点距離はもうちょっと広角だったような気もします。

>軽く半世紀以上前ですなぁ、デジタルのデの字もない、古き良き時代でありました。(笑)

この時代のレンズはかなり写りがよいです。
無理に光学系をコンパクト化していませんし、原則通りの設計だと思います。

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