南海電鉄天王寺線 ― 2009年05月26日 00時00分00秒
カメラネタもなさそうなので蔵出し画像でなんとかネタをつなぐ(笑)。ぱにー様にカテゴリー「てちゅ」を作れと言われそうだが(笑)。
写真は1978年頃の南海電鉄天王寺線天王寺駅。国鉄天王寺駅の関西本線(現在のJR西日本「大和路線」)ホームからの撮影だと思う。親に連れられて奈良に行くときか。
左奥の建物は近鉄百貨店阿倍野店で下が近鉄電車の阿部野橋駅(「あべの橋」と書くこともあるようだ、というか建物の壁には「あべの橋駅」と書いてあった記憶がある)。
※阿部野橋駅は「大阪阿部野橋駅」が正式名称らしい。しかも大阪市阿倍野区なのに大阪阿部野橋駅という表記だ。なんてややこしい駅なんだ。
「天王寺線」はネット上で「天王寺支線」と書かれているが、当時それが正式名称だったか記憶がない。「天王寺線」と呼んでいた記憶があるので「南海電鉄天王寺線」と書くことにする。この支線は段階的に廃止され、現在は存在しない。
写真の左奥の近鉄の建物とその奥中央やや左の建物(アサヒビールの古いロゴが見える)の間の道路上に現在も阪堺電気軌道上町線の終点「天王寺駅前」がある。国鉄・南海の天王寺駅と近鉄阿部野橋駅の間の道が大阪市天王寺区と阿倍野区の境目なので、天王寺駅前電停は阿倍野区にあると思う。なおこの写真の撮影時は阪堺電車は南海電鉄の路線だった(1915年から1980年までは南海電車の一部門だった。現在は南海電鉄の100%子会社)。
写真には写っていないが左の方に国鉄・南海の小さな別の改札口があり、また手荷物扱い所があった。一時預かりもそこにあった。うちの父親がなにか大きな買い物をしたときにこの一時預かりを利用したのを覚えている。しかし、コインロッカーを使うのが当時既に普通で、こんな場所に「手荷物一時預かり所」なんていうのがあること自体新鮮だった。たぶん当時の小さなコインロッカーに入らないような大きな荷物を預けていたんだと思う。写真を撮っておけばよかった。「手荷物一時預かり」なんてもうないし、あっても「クローク」って言うんだろうなぁ。
カメラはAsahi Pentax SV + Super Takumar 55mm F1.8 + Sakuracolor II(スキャナ:Nikon SUPER COOLSCAN 5000 ED)。写真のピントが手前に来ているように思う。
【追記】"Sakuracolor II"とネガの端に書いてあるのでそう表記しているのだが、検索すると"Sakura Color II"の方が多いし「もしかしてSakura Color II」とか言われる。しかし、ネガに"Sakuracolor II"って書いてあるし当時の箱にもたしか"Sakuracolor II"って書いてあったので意地でも"Sakura Color II"とは書かないぞ、と言いつつ"Sakura Color II"でも検索に掛かるように書いてみる(笑)。ちなみにサクラカラーIIはISO100だったようだ。20枚撮りではなく24枚撮りを最初に始めたフィルムだったと記憶する。【追記ここまで】
コメント
_ ノーネームしたん ― 2009年05月26日 21時27分05秒
_ maple ― 2009年05月26日 22時52分39秒
へー、こんな京阪電車みたいな南海電車があったんですね。
天王寺駅があったのも初めて知りました。
藤井寺駅もかつての意味がなくなって久しいですね。行ったことはないですが。
サクラカラーIIではないですが、Sakuracolorの横文字表記が刷られたフィルム外箱の画像がありました↓
http://auto110.pentax.bz/110film/sakura-sr-v100.html
サクラカラーIIはホーロー看板(キリストのアレみたいな)の画像がありましたが、横文字がなかったです。
なんというか、すでにアンティークの扱いですね。
_ Haniwa ― 2009年05月27日 09時12分45秒
この頃はいつもPentax SVを首から提げた変な少年でした(笑)。それで鹿に懲らしめられたのかぁ(笑)。
南海ホークス、懐かしいですなぁ。当時パリーグは大阪私鉄リーグみたいになってましたし(笑)。ドカベン香川、懐かしい。最近はメディアへの露出が減ったと思ったら福岡で居酒屋を経営したり野球学校をされているのですね。
今この南海のホームのあった場所はMioとかいうビルになっていて関西本線(大和路線)のホームからこの景色は見えないみたいですね。近鉄の中古カメラ市に合わせて行ってみたいものです。
■ maple様
そうなんです。緑色は南海のコーポ―レートカラーだったんです。南海ホークスのユニフォームの色もそこから来ています。昔は南海本線や支線がこの写真の色で、高野線がステンレスカーでした。
藤井寺球場はわたしも行ったことがないのですが、近鉄バファローズファンのクラスメートがよく行っていました。あの球場は不幸でしたねぇ。周辺住民の理解が得られずナイトゲームができなかったんですね。それで日生球場でナイトゲームをやっていた記憶があります。
おお、110のサクラカラーですね。これは使ったことがないです。うちは110はなぜかKodakでした。
看板で横文字のは
http://www.flickr.com/photos/hilibos/2574828057/
がありました。使っていたもののパッケージもこれでした。
http://ooasahi.hp.infoseek.co.jp/film_s1/sakura01.htm
にある、Sakuracolor II 135 24EXP.もそうですね。
たしかに30年以上前のしかも消滅したブランドなのでアンティーク扱いも仕方ないですね。
サクラカラーはこの当時から赤色系がきれいにでて、自分で買うときは必ずサクラカラーを選んでいました。うちの親父は110はKodak、135は富士をよく買っていました。
_ maple ― 2009年05月27日 12時40分56秒
京阪と紛らわしいからやめたのかはわからないですが、他の南海緑電車のサイトを見てたら、この頃は「各停」じゃなくて「普通」だったんですね。
110はうちも(というか親が)コダックでした。
1台目の110ボディがコダックだったのと、コダックのお店が近くにあったことが理由でしょうかね。
蛇足ながら、135を買おうかという雰囲気は微塵もなかったです。
唐招提寺の仏像を撮影禁止と書いてあるのに撮って、プリントを受け取ったときにネガが真っ暗(素抜け)だったらしくプリントされてなくて、「ルールを破ったからたたられたー!?」とか言ってたのは良い思い出。
あ、そのものずばりがありましたか。
_ Haniwa ― 2009年05月28日 15時36分34秒
京阪は優等列車に使う電車は、マンダリン・オレンジとカーマイン・レッドなのに、一般車両はライト・グリーンとダーク・グリーンなんですね。鳩のマークと黄・赤のイメージの方が強いんですが、緑の電車の方が多いんですよね。
各停と普通の違いは気がつかなかったですね。
http://www.jtw.zaq.ne.jp/sugitani/nankai/fushigi/futsukakutei.html
すごい。路線図を入れないとなんだか分からないですね。
>蛇足ながら、135を買おうかという雰囲気は微塵もなかったです。
うちの親もそうでした。楽で小さかったからでしょう。それで画質が落ちたと気づいた私が押し入れからAsahi Pentax SVを探し出してきて「こんな立派なカメラがあるのになんでそんなカメラで撮るんだ」と抗議したわけです(笑)。そうしたら親が「露出が難しくてピンぼけも頻発するしワシには使いこなせん」というので、Haniwa少年預かりとなったわけです(笑)。このころにカメラウィルスが仕込まれたんですね(笑)。
スプールにうまくはまらなくて失敗というのは悲しいですが、その後オートローディングが出たときにはなんにも引っかかるところがないので逆に「ホンマに大丈夫なんか」と思いました(笑)。
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南海といえば、南海ホークスが毎夜優勝パレード(涙の御堂筋パレード)を行うと言われており、なぜかドカベン香川がその中に混じっていると・・・・・・・。